ふぐの味。

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    おはようございます。

    今更ですが、ふぐの味について少し。

    ふぐの味というものは、合成不可能と言われており、実際、ふぐ科の出汁は、フグ目の他の属と比較しても異なる旨味があり、似て非なるものとなっております。

    旨味成分は大雑把に言うとアミノ酸…旨味成分ですが…他の魚と異なり、旨味の純度が高く、雑味が少ないのが特徴です。

    これが、種類のみならず、鮮度にも密接でありながら、個体差による違いというものが顕著なのです。

    つまり、種類、鮮度だけでは判断できず、手元にある現物を見て判断するしかないのです。

    そこの見極めと、クオリティでの区分というものを、僕…店主は「ふぐの味の再現」と呼んでいる訳です。

    おそらくこれは、ほとんどのふぐ取扱店では理解出来ていないのではないかと思います。

    当店では、ふぐ調理師である店主がふぐ愛好家である為、開業以前よりふぐの研究を重ねておりました。

    実際にふぐ食文化の馴染みが薄い土地で開業し、苦難を経験しつつ研鑽して今に至る訳ですが、途中、苦難の一つ…競合店の増加によってある事に着手したのです。

    気象とクオリティのコントロールです。笑

    これができれば、通年のふぐ取扱…「ふぐの味の再現」に支障は無くなります。

    必要なものは、知識と目、舌。

    たったそれだけです。

    以前はそれらをつなぐ事ができていませんでした。

    より俯瞰に近い客観視とは、そういった、自らと当店の体制、通年のふぐの流通事情を供する一皿にまで繋いでやっと、一つの輪とする事。

    そうして考えますと、答えは明確になってきます。

    そこに必要な事以外、やってはいけないのです。

    人間、一つの事しかできないらしく、それは脳のパフォーマンス上、致し方ないということもこの17年、辛酸を味わうことで学びました。

    以前は、周りと歩みを合わせることに腐心しておりましたが、それが「ブレる」というもの。

    僕は牽引する立場にあるという自覚がほとんど…皆無に近かったのです。

    ごめんなさい。

    僕が妥協したら、フォローする人間がいないので、収拾がつきません。

    そういう状態が長らく続いておりました。

    人の協力を得なければ難しいことは多いのですが、道標を失っては事が為せません。

    したがって、事は成らないのです。

    当店には教育係がいない。

    これは以前に何度かお話ししていたかと思います。

    店主自らが従業員に何某か言ったところで、聞き入れられないのは店主の人格、行いによるものだと言います。或いは器とも。

    随分上から目線(笑)だとは思いますが、まあ、人間というのはそんなもの。

    総じて「脳のパフォーマンス」な訳です。

    そこに個体差は無関係です。

    そうしてドライに考え始めた時、「ふぐの味の再現」ということが可能になり始めたのです。

    一つのヒントとして。

    昔の中国での故事。

    大河を渡る船で、お客の中に武士がいたそうな。

    ところがその武士、航行中の船上からあろうことか刀を落としたらしい。

    そこでその武士、船の縁に印を付けて、岸につくのを待った。

    岸につくなり、「この印のところに刀を落としたんだ」と言ってその印のところから川に飛び込んで刀を探したそうな…

    変ですよね。

    でも、これを笑えないのが私たちが持つ脳のパフォーマンスだったりするんだということ。

    結局、人は都合でモノを考えるので、現実的な対処は難しいのです。

    なのでそこに付き合うよりは、「本来、元来」というものを仮定とせずマストとせねばならないのです。

    刀を取り戻したければ急流であっても落とした地点に飛び込まねばならないのです。

    刀を落としたということは理解できても、それを取り戻すという行為をしてみたかったというなら身の安全を考えての間が抜けたパフォーマンスもアリでしょう。

    諦めるという手もあります。

    そもそも何故、刀を落としたのか?

    考えたところで刀は戻ってきませんが、次に同じ過ちをおかさないでしょう。

    スティーヴンタイラーさんが言ってますね。

    「人間は失敗することで学ぶ」と。

    僕が浅草で修業中、「失敗はする、しかし同じ失敗を繰り返したらただのバカだ」ということをよく聞かされて育ちました。

    まあ、人間なんてバカですけどねガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!

    僕の場合、研鑽して腕を上げていくということよりも、困難に向き合って道を拓いていかねばならないのかもしれないと思う部分もあります。

    何しろ、この秋田でふぐの取り扱いは古くからあるのに、富裕層のみの限定枠だったのが19年ほど前まで。

    僕が帰郷した19年前の時点で若干、変化があったものの、「秋田ふぐ」という言葉は存在しておりませんでした。

    秋田産のふぐの取り扱いはあったものの、謳い文句にそれがなかったのは残念です。

    それまで、取り扱い業者にふぐへの愛は無かったのでしょうか?

    そもそも、ふぐへの思いは、いかほどだったのでしょう?

    僕の場合、ふぐとの邂逅は1989年。

    実際にふぐの味に目覚めたのはその数年後。

    時はバブル、手にしたボーナスで仲の良い同期と、「楽しいことしたいよね?」から始まったグルメ会。

    対象がふぐ。

    そこで僕はふぐの味に目覚めた。他の同期はともかく、僕だけが。

    つまり、人の舌も千差万別ということ。

    僕は昔から、脂がある食材はあまり好まないほうで、父の晩酌のつまみ…ヒラメとハマチがあった時、弟と僕に食べ比べをさせて、どっちが好き?と聞かれ、僕はヒラメ、弟はハマチと答えた。

    僕は高校卒業後しばらくするまで、揚げ物が食べられず、鰻も苦手だった。

    いまだに、好きなすしダネは貝類、白身魚。

    養殖魚は旨い不味い以前に、脂がキツイので難しいですね。

    その点、ふぐは時に養殖の方が良いこともあります。

    個体差ですけどね。

    地産地消を謳うなら、何があっても地産じゃなく、最高のパフォーマンスの地産であるべきというのが僕の持論です。

    着眼点にしろ、失敗するにしろ、僕は先を行き過ぎていることが多く…これまた秋田県人の特徴なのですが…

    少し、周りを見渡す時間も必要ですよね。

    サッカーの現役時代の中田さんのフィールドワークのような気もしますが、そこまでのものでもありませんしね〜…

    とはいえ、思います。そこにいてパスを受けてくれなきゃ、って。

    受けやすい無効なパスを出しても、得点できなきゃ意味はない。
    出した有効なパスを受けきれなくても同じですが…

    テーブルを「拭く」ということは汚れを拭う(ぬぐう)ということ。

    行為として撫でることではないのです。

    昔、料理番組である方が担当した時。

    一品の調理法のみならず、器材の洗浄…おろそかにしがちな部分の注意点についても触れておりました。

    僕は番組中の行為としては「NGだなぁ」と思いましたが、まさに、料理を提供するというのは「もてなし」であるがゆえ、そういう根っこの部分が大事だということは胸中にあり、この料理人は本物だ、と感じたことを覚えております。

    僕も…

    不器用ですから…





























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