2001年。その時、秋田ふぐは地元で無名に近かった。

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    それが創鮓 庵河豚の開業年。

    当時、秋田ふぐを謳った飲食店は0。

    もちろん、存在が無名に近かった故に、地元ふぐのクオリティなど認められもしなかった時代だ。

    では何故、庵河豚店主はそのふぐを使おうと思ったのか?

    単純である。

    浅草で1989年にふぐと出会って以来、ふぐに惚れてしまったが故に、ふぐを追い求め、浅草はもちろん、都内、関西、九州、下関でふぐ食を堪能してきた。

    そして秋田ふぐ。良いふぐを見た。
    それが何故、良いものとわかるのか?というと、単純である。
    ふぐを扱おうと決めてふぐに携わったのではないからだ。
    ふぐが好きだから自然、ふぐを「ちょしていた」だけ。
    食べることが先だったというわけ。

    実は帰郷当時、秋田ふぐを取り扱う店はあったものの、秋田ふぐのポテンシャルを発揮することが難しかったのか…とはいえ、店主も当時はまだ、自身のポテンシャルも発揮できていなかった時代、素材の良さは認めていても、クオリティの再現性は低かった。

    再現性が確実さを感じるようになったのは、ここ数年。

    数年のうち、偶然が重ならなければ、難しかっただろう。

    それと、コンセプトのシフトによって大きく変化した。

    ほぼ、堂々巡りのようで、結局のところ、我流は無いと気付いた。

    もっとも、基本的なことを踏まえるならば、進化もあり得る。

    今、少しずつ殻を破っているように感じているのが庵河豚。

    とはいえ、より俯瞰に近い客観視という観点からすれば、時が経つと今の変化など微々たるものでしかないだろうことは想像に難くない。

    それでも、ここ秋田では「ふぐ料理とは?」が未だに使われるフレーズだろうと言える中、変化の兆しは少なくない。とはいえ、そもそものふぐ料理の基本形を知っているのだろうか?
    それほどまでにここ秋田ではふぐ料理というもののなじみが薄いと感じる。

    薄いと感じるながらも、興味は高めなようで、面白い展開になっている事を目にしている。

    思い起こせば20年前。あれほどまでにふぐに無関心だった県民が…

    そんな中…18年前…何故この地で「ふぐ料理店」を開業したのか?

    当時、店主は31才。

    実はほとんど何も考えずに突っ走り、ただ、好きなふぐを取り扱うことに夢中だった。

    立地条件も考えず、ただ、「ふぐが好き」というだけで。

    それがそもそもの過ちの起点だったのだが、今現在のペースを考えると、塞翁が馬。

    これ以上は追いつかない。

    これ以上になると、クオリティが下がる。

    もっとも、スタッフが増えれば話は別。

    ホール兼業可能な料理人が2人。調理補助可能なホールスタッフが2人。

    それでこの店のサービスはほぼカバーできる。

    単純である。

    要は「人」

    求めるのは「人」

    そんなところ。

    それが可能になるまではマイペースマイペース。

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